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【京都御所①・蛤御門】(京都検定★)幕府軍×長州軍の戦場となった弾痕がある御門

過去の【京都検定】第7回の2級で出題されています。

幕府と長州藩による激戦となった蛤御門の変(禁門の変)の場所です。

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こんにちは。本日は「蛤御門」(はまぐりごもん)です。

京都御苑の西側、烏丸通に面して立っています。

京都御苑にある惣門の一つで正式名称を「新在家御門(しんざいけごもん)」と言います。

普段は閉ざされていた門ですが、

「宝永の大火」(1708年)で町民の避難のため開門されたことから、

「焼けて口を開く蛤」に例えられて「蛤御門」とされたと言われています。

※宝永の大火以前から蛤門と言われていた説もあります。

※京都御苑にある9つの惣門の一つです。

特に有名となったのは、

やはり元治元年(1864年)に起きた「蛤御門の変(禁門の変)」でしょうか。

文久3年(1863年)八月十八日の政変による尊王攘夷派の追放や池田屋事件等により

京都での地位を失いつつあった長州藩が勢力の回復を企図して京都へ軍勢を派遣します。

天皇へ直接冤罪を訴えるため京都御所まで来た長州藩と、

門を守る幕府方の会津藩・薩摩藩との間で武力衝突となりました。

最後は長州藩側の敗北として戦いは1日で終わりますが、

激戦により市中は戦火に包まれ、民家や社寺を焼き尽くしたことから

「どんどん焼け」、「鉄砲焼け」と言われています。

※今も当時の銃の弾痕と思われる箇所をいくつか見ることができます。

また、御門を入ってすぐに大きな椋木があります。

こちらは「清水谷家の椋(しみずだにけのむく)」と言われており、

当時は清水谷家という公家の屋敷があったところとされています。

蛤御門の変では、長州藩士で遊撃隊総督だった来島又兵衛がこの木の付近で

討死したとも言われています。

※樹齢300年と伝えられる巨木です。

※その後の長州征伐の発端となった戦いの跡地です。

※御門向かいには立派なホテルがあります。

■過去の【京都検定】では「京都御所」に関連して出題されています。

1.第7回 2級 蛤御門

※筆者調べ

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住所:

京都市上京区烏丸通下長者町上ル

HP:

御苑案内図(蛤御門)|京都御苑|国民公園|環境省 (env.go.jp)

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