洛中

【花の御所】(京都検定★)足利義満が造営した花木で装飾された将軍のための大邸宅址

過去【京都検定 2級、3級】では関連も含めて計9問出題されています!

「花の御所」は室町幕府第3代将軍の足利義満によって造営された将軍御所の名称です。

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こんにちは。

今回は「花の御所」址です。

花の御所は、主に第3代将軍の足利義満によって

永和3年(1377年)北小路室町の地に造営された将軍御所「室町殿(室町第)」のことを指します。

その前、第2代将軍 足利義詮が公家の室町季顕邸「花亭」を別邸としたいことに始まり、

崇光上皇に献上されたことから花の御所と呼ばれていました。

義満の時代にさらに南側の今出川公直邸「菊亭」を買い上げて整備されました。

場所は現在の烏丸通(京都御所西側)から室町通と、

今出川通(同志社大学南側)と上立売通にかけてとされています。

「室町通」に正門が面していたため、室町殿(室町第)と呼ばれていますが、

義満は花の御所を邸宅とするとともに、政治機能も設けました。

造営後は足利家惣領のことも「室町殿」と呼ばれることになり

後に室町幕府、室町時代と呼称されるようになった所以です。

義満以降は一時花の御所から政治機能が移動したこともありましたが、

第6代将軍 足利義教や第8代将軍 足利義政はここを邸宅として

政治を執り行っています。

「花の御所」と呼ばれたもう一つの理由は、

造営時に全国の守護大名から様々な花木が贈られ、邸内の庭に植樹されていたためと言われています。

鴨川から水も引き込まれていたそうで、年中綺麗な景色を見ることができることは

将軍の権威を世に知らしめることにも繋がったのではないでしょうか。

※「上杉本 洛中洛外図屏風」の中にも描かれています。(「平安京創生館」内で筆者撮影。)

また地名としてもその当時を知ることができます。

例えば「堀出シ町」という町名がありますが、

こちらは花の御所の「堀」があったことに因むそうです。

※わかりやすいと言えば確かにです。

※現在「従是東北 足利将軍室町第址」石碑が室町通と今出川通の東北角地にあります。

また義満は後に花の御所の東側に七重の大塔を配した相国寺(京都五山第2位)を建立しています。

そんな花の御所も応仁の乱などで焼失し、以後再建もされましたが現在は石碑により

当時の場所を知ることができるのみです。

※尼門跡の大聖寺の入口付近にある「花乃御所」の石碑です。

過去の【京都検定 2級、3級】では「花の御所」、「足利義満」を主に選択させる問題が出されています。

※筆者筆者調べ。

第3回 3級 足利義満

      2級 相国寺

第5回 3級 花の御所

第12回 3級 足利義満 ※関連出題

第14回 2級 大聖寺

第17回 3級 足利義満 ※関連出題

第19回 3級 花の御所

     2級 花の御所

第22回 3級 足利義満

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